憧レヲ称シテ東京ト為ス

DREAMS COME TRUEの曲に『大阪LOVER』という歌がある。発表直後から気に入っていて、一般人とのカラオケでは勝手に十八番と化している。キャッチーなメロディに、可愛らしい歌詞。東京に住む女の子が、大阪に住む彼氏に向かって歌う、遠距離恋愛の歌だ。
この歌の女の子が言うように、「近そうでまだ遠い」「恋しくて憎らしい」それが、私にとっての東京。東京というまち、なのだ。

東京に対しては強烈な劣等感をもちつづけていた。都会、なんでもある、流行の発信地、日本の首都。そんな一般的なイメージは小さな頃から少しずつ積もり積もって、硬くなっている。
東京に対する最初の記憶は、東京駅、新幹線の乗り換え口。祖父母に会いに行くために乗る新幹線。それは東京駅からではないと乗れなかった。おにぎり屋さんがあって、そこで買うおにぎりがおしゃれでおいしく感じられて、幼心に特別な場所だった。次に記憶のある東京は、原宿。子どもだけで出かけた、初めての東京。学校の友達と、プリクラを撮ってクレープを食べた。雑誌やドラマで見る東京は、いつだってクレープが美味しそうだった。街が賑やかで、歩けないくらい人がたくさんいた。いろんな店を見て、あまりの店と品数の多さに混乱して何も買わなかった。一人で初めて行ったのは、飯田橋。武道館のコンサートに行ったのが初めてだった。この頃は電車に乗るのも慣れて、携帯も手元にあった。武道館はとても広く大きく感じて、ずいぶん遠いところに来たんだなと感慨深く思った。しょっちゅう行くようになったのは大学生になってからだったと思う。アルバイトを始めてお金の余裕ができて、コンサートや舞台に行く回数が増えた。遊びに行くこともあって、行動範囲の拡大を感じる日々だった。
社会人になってから、東京は憧れていた場所から、概念として嫌いで苦手な場所になった。どの街が苦手、とか、人混みが多くて嫌い、というわけではない。硬くなったイメージが、劣等感を強くしたからだ。イメージとしての東京が嫌で、「東京の何がいいの?」と強がってばかりだった。

小一時間あれば行ける場所。
だからこそ余計にマウンティングをどうにかしてとろうとするし、劣等感をなんとか無くそうとしたかった。そんな気持ちばかりで、たぶん周囲の人をたくさん嫌な気持ちにしてしまっただろう。申し訳ないと思う。それと同時に、この卑屈さは一生消えないんだろう。
どうして卑屈になるか。それは交通費がかからなければ、間に合う場所なら、もっと現場に行けたのに。もっとお店の種類があれば、おしゃれになれるかもしれないのに。終電がないのも、電車を待たなくていいのも、東京だからだ、という偏見は一生抜けなさそうだ。
でも、それは同時に自分が選んだことだから。最近はそうやって思うことで劣等感は少しずつなりを潜めている。自分が選んだことは、東京にいてオタクとして最高に利便性の高い生活をすることじゃない。

置かれた場所で咲きなさい。まさにそうありたい。

東京のいろんな街に行った。考えなくても歩ける街もある。全く知らない街じゃない
だけど、一生根を生やすことはない。

東京はもう少しで手が届きそうで、でも絶対に届かない。いつまでもおのぼりさんをさせてくれる街であってほしい。
これからもきっと、休みのたびにとうきょうに足しげく通うだろう。

近そうでまだ遠い、永遠に遠い、恋しくて憎らしい東京。